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溺愛
夏が来る度に思い出していた感情が思い出せなくなるのがこわい。二時間にドラマを見出せないで涙がただの飾りに見えた。剥離してゆく。私が纏っていたあの夏が剥がれて、私が手繰り寄せた夏が離れて。何度も反芻して、同じ夏と感情をくり返して、安堵して。気付けば成長なんてしていない。変わりたいと願いつつ、ずっとここにいたかった。夏に閉じこもっていたかった。離れてしまったら二度と出会えないと思っていた。それでいいと思えなかった。夏が呼んでいるのではなく、私がしがみついていた。そうしていればあの日が帰ってくると思った。私の愛した彼らが日々が空気が帰ってくると思った。待っているのではない。動けないのだ。はじめて手にした大事なものから離れて自分の足で立つ自信がないのだ。離れてしまったらもう戻らないのではないかと経験がずっと囁いていた。そんなことはないと断言できない弱さ。それが唯一私を支え、私の原動力となっていた。それでいい。今はこれで。夏に必死になれなくなったとき、私はそっと消えよう。
20:42  -
ジッポーライター
思いがけない雨だった。昨晩私が先生に会えるのを楽しみにしながら床に就いたときは、確かに夜空に星が見えたのに。目を覚ますとバケツをひっくり返したような大雨だった。億劫な気持ちを引きずりながら支度をする。何を着ようか。会うのは数ヶ月ぶりである。この間買ったフラットシューズに似合いのガウチョパンツは、きっと裾が雨で汚れてしまう。春先に夏にも履けるからと買った刺繍の綺麗なロングスカートも同様である。結局くすんだ青色のキュロットと大人しい花柄のキュロットで悩んで、後者にした。雨の日に似つかわしくないと思ったが、意外にも花柄は鈍色の空によく馴染んだ。白色のブラウスを合わせたのがよかったのだろう。雰囲気だけでも大人に見えるようにと髪を下の方で軽く結ってそのまま団子にした。億劫な気持ちは失せた。手早く朝食を済ませ、歯を磨き、早々に家を出る。雨は起きたときよりも強まり、車を激しく叩いた。かき消すように鳴る軽快な洋楽が心を弾ませる。車を十数分走らせる。学校に着くとすぐさま先生が目に入る。安っぽいビニール傘を挿している。色白の先生と濁った大気と透明の傘。素晴らしいコントラストだった。車から降りると、挨拶もそこそこに雑談へとうつる。いつもより機嫌がよい。普段よりも目尻が下がっているように見えた。先生は出会ったときよりも随分話しやすくなった。はじめは硬い殻で覆われていたのがぽろぽろと殻は割れてしまって中から出てきたのは柔らかで繊細で思うより可愛らしい人だった。困ったような、悪戯をするような、不思議な笑顔が好きだった。冗談を交えつつ、互いの近況報告をする。些細な時間が好きだった。ぽつぽつと話していた二人の会話はどちらともなく終わりを告げる。しばし沈黙。先生がポケットから煙草とジッポーライターを取り出す。キャスターマイルド。煙草を咥え、ジッポーライターを擦り、息を吸って、火を点ける。一連の動作のどれをとっても美しく、それらは映画のワンシーンのようでもあった。綺麗な二重が伏せられる。ふと気付く。見慣れた画の中に突如現れた銀色。ジッポーライターとは違い、それはまだ新しく、くすむことなくちらちらと光っている。控え目で奥ゆかしくはあるものの確かな光。視認したのと同時に雨音は消えた。ひどく緩慢な動作で先生が地面に灰を落とした。エンドロール。続いていた映画が終わる。雨が降る。
21:24  -
枯れない瞳
随分と久しぶりに彼に会った。最期に会ったのは梅雨入りをして間もない頃だったから、短くとも季節をひとつ超したことに間違いはない。梅雨前の彼と梅雨中の彼は僅かに違っていて、私はどちらの彼も同様に好いていたが、彼には雨が似合うと思ったのを覚えている。私が何時ものようにお久しぶりですと挨拶をすると彼も何時もようにこの間会ったでしょうと返す。どうやら私と彼とでは時間に対する感覚が違うようだ。私もあと四年経ち、今の彼と同じ年になればひとつ季節を超してもそれを“この間”と言えるようになるのだろうか。四年後、今より四つ年をとる頃、彼はどうなっているのだろう。それを知ることはない。今年度で彼と私の接点は無くなり、来年度からは互いのアドレス帳の中に電話番号だけが残る。おそらく電話を掛け合うことはないのだろう。確かに言えるのは、四年経っても私は彼のことを素敵だと感じるということだけだ。どんな彼になっていてもそれはきっと。半ば彼を恨むような気持ちで横目で盗み見る。彼は気付かない。強い雨を降らす空を見ていたあの日と同じ目で燦々と照る太陽を見ている。髭を触る。昨年同様、願かけのために伸ばしているのであろう髭のおかげか童顔な彼が年相応に見えた。雰囲気と外見の一致。それは髭のせいだけではなかった。彼と私が今日会った瞬間から彼が誰かのものであることを主張し続けている薬指のそれ。華奢で色の白い彼の指によく馴染んでいる。髭を触った瞬間それは太陽の光を一身に浴びて淡く光り、私の甘美な胸の痛みを咎めた。構わずに彼をもう一度盗み見る。視界の端で警告するように光り続けるそれ。なにも出来ないくせに。銀色のそれと、自分に言った。結婚されるんですか。疑問は言葉に出来なかった。沈黙は続く。しかし、彼との沈黙はとにかく心地がよい。ガムシロップのように緩やかに流れる時間。この感覚だけは彼と共有出来ていると自負していた。彼が一度たりとも沈黙を破ることだけを目的とした適当な話題を振ったことがないことが根拠だった。暑いなあ。沈黙を十分に堪能した頃、彼がごちる。また盗み見る、が、目が合う。季節をひとつ超したくらいでは済まない。本当に久しぶりに彼と目が合った。視界に居座っていた銀色が消えた。胸が高鳴る。白くて薄い肌と黒くて細い睫毛に囲われた瑞々しい両眼は確かに雨を湛えている。きっと四年後も彼の両眼は枯れないのだろう。
18:15  -
欠落の街
蒸し暑く重たい空気が満ちていた。知らない街だ。幾度も訪れたことがあるのに、来るたびにそう思わずにはいられない。休日の街には人が溢れていた。恐怖を感じた。恐怖と形容するには些かお粗末な感情かも知れない。恋人。家族。友人。みんな誰かと連れ立っている。先程観た映画を思い出す。友人たちの中でぽつりとひとり。笑っていたのだ。寂しそうな顔をした後、確かに笑った。思い出して、浮かびかけた涙をぐっと堪えた。記憶の中の主人公に倣って私も顔を上げた。ついでに口角も。ぽつりとひとり。不思議と寂しさは感じなかった。私の乏しい語彙では恐怖としか表現できなかった。なにが怖いのか。たったひとり。溢れかえる人の波の中で、私のことなど知る人のいない街で、それだから当たり前なのだ。ひとりであることなど。私はいつでもひとりでいたかったはずで、しかしそれは自分を誰かが知っているという前提がもたらす欲望であった。甘え。甘えが連れてきた恐怖の海に溺れる。幾度も訪れたことがあるこの街が、知らない街のように思えるのには明確な理由があった。普段は、とかく新鮮に感じるのだ。華やかな洋服も洒落た小物も。なにもかもが。道端でさえもそうだ。しかし、今日はまたその感情とも違っていた。なにせ今日の私はひとりなのである。考えて歩かねば迷ってしまう。いつもみたく阿呆のように手を引かれているだけでは駄目なのだ。あちらにもこちらにも目移りしながらでも誰ともぶつかることなく歩けていたのは、あの手があったからなのだ。重たい荷物にあくせくせずに済んでいたのは、あの手が、あったから、なのだ。今日この街に恐怖を感じるのはあの手がないからなのだ、きっと。愛していた街。きらきらしていた街。騒がしい街。生まれ育った街と違う。昨日と違う。あの日と違う。あの手がない街。恐怖の代わりに、ひとつ感情が抜け落ちた。
22:33  -
記憶の中の住人
あの子にそれを求めるのは酷だ、と男は言った。デジャブを感じる。同じ台詞を言った彼は随分と遠くへ行ってしまったが、元気だろうか。元々顔を合わせたときに話す程度でお互いの連絡先も知らない。彼は今私の記憶の中で姿を変えることなく生きている。声が、思い出せない。この男もまたこの手のひらサイズの携帯電話の中で生きていて、通話を終えてしまえば声さえ思い出せなくなるのだろう。悲しくも切なくもなかった。あるのは六月の夜特有の気怠さだけで、それによって想起されるのは胸の高鳴りを弔った過去に対する後悔だけだった。弔わなければならなかった。言い訳するように呟いた。そうしなければ進むことが出来なかった。心の中で付け足した。男はなんのことかさっぱり分からないだろうに相槌をくれた。確かに意味を含んでいた。共感ではない。否定ではない。同情ではない。事実を事実として受け入れる形の相槌。きっと眠りに就いてしまえばその事実を忘れてしまうのだろうが、確かに男は私の呟きを飲み込んだ。あの子のことは好きだよ。今度は男が呟きを産み落とした。私のものと違って言い訳する気持ちは含まれていなかった。事実だった。私と違って後悔を孕むこともない、厳然たる事実。眩しかった。あの子を羨ましく思った。名前も顔も声も知らないあの子。こんな風に自分の預かり知らぬところで、顔も声もなにも知らない女に好きだと零される存在が。私は返す言葉が見つからなかった。夜明けが近い。時間を確認したわけでなく東の空が白んでいくのを見て初めて気付いたことだった。それを伝える。こちらの空はまだ黒いと言う。距離。彼は時間を確認したはずだ。そろそろ寝ると呟いて私が言葉を返す間も与えず、また話そうと言った。曖昧な相槌を返して通話を終えた。耳にまだ声が残っている。隙ありと言わんばかりにすかさず嫌悪が纏わりつく。床を整え横になる。眠りに就いてしまえば、忘れる。忘れる。忘れる。それでも男もまた彼と同じように記憶の中で生きる。
21:08  -
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photo : CIS
template : Lalala
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